浦和のうさぎがかわいい調神社(つきじんじゃ)に行ってきました。
2020年の12月に火災で熊手を売る屋台が燃える火事があり12日まちが中止した事でも話題となりましたが、とても歴史がある由緒正しい神社なのです。
呼び方は(つきのみやさま)の愛称で親しまれております。
入口で出迎えてくれたのは狛犬ではなくうさぎの石像です。
参道入口から子供のうさぎさん達と出迎えてくれます。とてもかわいいです。
先代の石像を赤色のみかげ石で平成25年に複製されたもので
良く見ると石像が赤みがかっています。
あれ?と思う方もいらっしゃると思いますがなんと鳥居がありません。
入ったところに木札の由緒書きに書いてありますが、
伝承によると倭姫命(やまとひめのみこと)が鳥居は搬入搬出の際に邪魔だから鳥居と神門を取り払うよう命じたようです。
当時の倭姫命の思い切りの良さが前面に出ているエピソードですね。
所説ありますが、社記の寛文8年1668年調宮縁起によると伊勢神宮斎主の倭姫命が参向して調宮神社を選び伊勢神宮に献上する調物を納める倉を建てて関東一円の初穂米・調の集積所と定めたとしたようです。
ただ、街道変更によって調物が通らなくなり役割を終えた御倉が神聖視されて神社として奉斎されるようなったとか。初穂を入れる倉庫から発展した神社のようです。創建は今から2000年前らしく遥か古の時代から現代まで受け継がれているのは本当にすごいですよね。
今も都内に出やすい浦和ですが、もしかしたら昔から交通の便が結構よかったのですかね。真相はいかに。
また、中世ではこの神社あたりを大調郷と呼ばれ、おおつき、大きな槻、つきのみや、月の宮、調が月と同じ読みから日本の民間信仰の月待信仰と結びついたそう。
それから、月の使い姫のうさぎが祀られているようです。
個人的には、うさぎにしようと発言した人が当時の人たちに否定されずに受け入れられて今の珍しい調神社があるので柔軟な発想を出来る方が多かったのかなと感じました。関係ないですが、埼玉から出土される土偶も他の県に比べると個性がかなり豊かな物が多いですし、私はその独創性が好きです。
かの有名な昔の偉人も参拝しているような記述が残っているようです。
小林一茶氏も紀行に書いていたりしているとか。
手水舎
なんとかわいいうさぎの手水舎です。
神の使者うさぎが大活躍です。実際見ると結構サイズは大きめです。
手水舎の上の龍の彫りもかなり細かく手が込んでいるのでそちらも実際近くで見て楽しめると思います。
先代のうさぎの石像 蔓延2年1861年
状態が良く公開保存されています。先代は現代よりちょっと丸みがありますね。
ずっと浦和の歴史を見守ってくれています。
屋根があり大事にされているのがわかります。
でも、横殴りの風とか雨は大丈夫かちょっと心配になりました。
歴史の産物を大事に後世に残していきたいですね。
社殿
随所にうさぎが彫られていています。
参拝の方がたくさんいたのでじっくりと見れませんでしたが、是非時間があって人がいなければ見つけてほしいうさぎ達。
かなり良く見ないとわからない気付かないという所にもうさぎがちりばめられています。こんなところにもうさぎが!?と発見を楽しめます。
木で彫られたうさぎに電気の側面の部分の所の絵がうさぎで、見つけたとき嬉しかったです。
しっかりお見せ出来ないのがもどかしいです。実際に見てみてください。
拝殿の両脇に置いてあります。一生懸命背負っていました。
調宮天神社
学業成就・書道上達
金毘羅神社
苔で覆われていましたがキレイ
神楽殿
大絵馬と熊手が飾られていました。
神池の兎
横に目が赤い白兎もいます。
神池を見守るように佇んでいる石像が
ありました。
存在感があります。
稲荷神社
稲荷神社社殿は調神社旧本殿を利用したもので、
こちらもうさぎをたくさん見つけられます。
また、さいたま市有形文化財に指定されています。
お隣には調公園があります。
また、調神社の境内林は天然記念物に指定されているようです。
境内はコロナ対策で入口で消毒を出来るようになっています。安心してお参りできますね。
一歩中に踏み入れると喧騒から離れたどことなく神聖な空気を感じます。
長年の歴史がそう感じさせるのか緑も多いので埼玉ではない京都を感じました。ちょっとだけ違う土地に来たような気持になれます。
かわいいうさぎのツキの使者とツキ神社でツイてツイてツキまくりましょう!!!
自然が生み出した調神社と歴史を共にしている大木と境内の壮大な雰囲気を肌で存分に感じてくださいね。
アマビエ様